イジメに負けない教育

 6年ほど前にも、「イジメは、なくならない」というタイトルでイジメと自殺について書いたことがあります。
 相変わらずイジメによる自殺はなくならず、イジメを隠す教育機関の体制も変わりませんね。
 学校のイジメ問題と同時に、警察関係者が男性複数で女性一人に性的イジメをするというニュースが流れてきました。この調子では、正義を教えるはずの警察学校でも、激しいイジメがありそうですね。
 女一人でも、正義を主張して体を張っても抵抗してほしかったとは思いますが、多勢に無勢では、事後報告をしただけでも良くやったと言うべきなんでしょうね。
 いずれにせよ、大人になってもイジメはなくならないのですから、そんな大人が育てている子どものイジメがなくなるわけがありません。

 今は、小学校では女の子の方が強くなりましたね。
 イジメでも、女の子が主導権を握る場合があるのは問題ですが、女の子はおしとやかに大人しくしているべき、という観念がなくなったのは喜ばしいことです。
 40年ほど前までは、男尊女卑的観念が強く、自己主張する女子はイジメの対象でした。
 すぐに泣く子もイジメられましたが、それを助けるような強い女子も集団で男子にイジメられました。助けたら女子がみんなで協力して一緒に戦ってくれれば良さそうなものですが、普通の女子は男子と争うことはしませんから、遠巻きに見ているだけでした。
 そうやって目立ってしまった私は、小学生の頃毎日のように男子の集団からイジメにあっていました。
 女子は遠巻きに「やめなよ~」と言いながら見ているだけ。加勢してくれればいいのに、と思いましたが、誰も助けてくれないことを思い知りました。
 自分が正しいと思ったことを主張するには、誰にも頼らず、自分が強くなって一人で戦うしかないんだ、と思いました。

 雪の日に男子集団に雪玉を投げつけらてびしょ濡れで家に帰ると、
「女の子のくせに、またケンカなんかして!」と母から怒られました。
 実際、やられるだけでなくやり返してもいるので、単なるイジメでなくケンカと見なされても仕方ないのですが。
 女のくせに何をされても絶対泣かないから、泣くまでイジメてやる、というのが男子集団の目的でした。
「今に見てろよ~」と学校帰りには思ったものです。
 そんな調子で、小学校卒業まで、ほぼ毎日のように男子集団とケンカしていました。

 中学になると、戦前感覚で怒る男の先生にまで、
「一人の生徒のイタズラの責任を、何もやってない生徒まで巻き込んでクラス中で責任を取れって、おかしくないですか?戦時中の隣組じゃないんですから!」
などと一人で反抗するようになっていました。
 
 ここまでくると、男子もイジメるどころか、恐れて逆らいもしなくなりました。
 職員室に行くと別の先生から、
「あの先生はもうお年なんだから、あまりイジメるなよ」
などと言われる始末です。

 イジメられて辛いことの一つに、孤独があります。
 みんなから嫌われて、自分は一人ぼっちだ、と思ってしまうことです。
 大切に育てられた子どもは、自分が嫌われるとは思いもしませんから、周囲の人間に嫌われて一人ぼっちになることはショックでしょう。家族が大切にしていればなおさら、学校で一人ぼっちというのが耐えられのないでしょう。
 その点私は、親からも嫌われていると感じて育ったので、赤の他人に嫌われても仕方ないと思ってましたし、怖いもの知らずでした。そして、絶対的に信頼できる友人が一人いたので、ほかの誰から嫌われても平気でした。
 逆に、人から好かれるために何かをする、ということが大嫌いで、成績のために教師の機嫌を取るような男子とは一切口もきかず無視する、というイジメのようなこともしました。

 イジメの原因は多々ありますが、一番多いのは、ちょっとでも異質なもの、自分と違うものを排除する感覚ではないでしょうか。
 世の中自分とは違うものだらけですし、誰とでも親友になれるわけでもありません。
 自分との違いを認め、どう受け止め、どんな距離感で付き合っていくかを見定める必要があります。違うからといって、否定したり、馬鹿にしたり、ケンカすることはありません。
 でも、それが難しいから、大人になってもイジメがなくならないのでしょうね。

 アメリカの青春ドラマに「グリー」という合唱クラブの高校生の話があります。
 ミュージカルやロック、ポップスなどいろいろな音楽をアレンジして歌って踊るグリークラブの話なので、音楽やダンスが好きなら、それだけで楽しめます。
 ただアメリカでは、"負け犬"と呼ばれるイジメられっ子達が、自分で自分のことを認め、歌うことで自分の良さを発揮していくストーリーが大ヒットにつながっているようです。

 アメリカは人種のるつぼですから、日本と違って外見の違いに肝要かと思いきや、激しい差別とイジメがあります。
 ドラマの高校のグリークラブは弱小クラブで、人種、宗教、身体、性的指向で差別されがちなマイノリティが多く集まっていました。
 学校では、何度も優勝するようなクラブは上位に、勝てないクラブは下位に位置づけられ、グリークラブは最下位でした。社会の学校や企業や職業のランク付けと同じですね。
 そのため、グリークラブに入っているというだけで毎日イジメられます。

 外部の人間からイジメられるだけでなく、誰がソロを取るか、男女関係、自分はまだマシという感覚などで、クラブ内でもトラブルが絶えません。
 その人間関係の弱みを利用してグリークラブを潰そうと画策する先生もいて、生徒以上の盛大な意地悪のオンパレードを繰り広げます。
 そんな中、一見頼りなさそうな顧問の先生が、何とか生徒をまとめて地区大会、州大会、全国大会へと進出できるようにレベルアップさせていきます。

 シーズン2では、州大会で優勝しても学校では誰も認めてもらえず、相変わらずみんなイジメられていました。
 クラブの仲間内では、欠点をつつき合ってケンカはしても、お互いの良さを認め合う絆ができていました。ただ、自分では自分の欠点・弱点を否定したり、受け入れることができません。
 そこで、自分の欠点を受け入れるために、自分の嫌いな所をプリントしたTシャツを作って歌うことになりました。

 ドラマのヒットによって、アメリカではドラマのパフォーマンスを再現するライブツアーが行われました。
 そこには、自分の欠点をプリントしたTシャツを着たファンがたくさん集まってきました。
 ドラマのいろいろなキャラクターから勇気をもらったという人がたくさんいて、今まで自分が嫌いだったけど、これが自分だと認められるようになった、と言う人もいました。

 イジメは、イジメる子が悪い、イジメられる方も悪い、親が悪い、学校が悪い、社会が悪いと言い合ってもなくなりません。
 イジメをするような卑怯な人間を育てないように、自分以外の価値観を受け入れる教育をする必要はありますが、親や教師に様々なランク付けの習慣や差別意識がある限り簡単にはいきません。
 イジメられても自分の人生を捨てないような人間に育てるためには、自分の長所も欠点も認めて受け入れ、どうしたら自分で自分の人生を楽しくしていけるか考える力をつけることです。
 自分の人生の主役は自分なのですから、他人にコントロールされることはありません。
 例え親でも自分の人生はコントロールさせない、という強い意思があれば、他人に人生を壊されることはありません。

 人生にはいろいろなことがあるので、自分の思い通りになるわけではありません。
 そのことも教えていく必要があります。
 生まれてから何十年も何のトラブルもなく過ごしてこられたという恵まれた人もいるかもしれませんが、普通は何らかの問題をクリアしながら今があるはずです。その体験は恥ずかしいことではなく貴重なことなので、子どもに伝えていくべきです。
 うちなどは常にトラブル続きで、どう対処していくかの連続でしたから、子どもも学校でイジメがあっても、気を遣って申告しなかった可能性もあります。
 何かが起こっても、どうやり過ごすか考え、体を張って対処すれば大抵は何とかなる、ということは親が身をもって教えていくしかありません。

 そして、世の中には楽しいことがたくさんあるってことも教えたいですね。
 うちでは、勉強はいろんなことを楽しむためにやるもの、と教えています。
 例えば、イギリスのコメディを楽しむには、イギリスの文学や芸術や歴史を知らないとジョークの半分も理解できないから面白さが半減します。モンティ・パイソンを見たければ勉強しな、という調子。
 安定した職を得るため、上位の学校に行くため、塾で良い成績を取るため、と自らランク付け社会に浸かるために勉強するなんてナンセンスです。
 面白い!と思えることを増やすために勉強はするのです。

 自分の人生を楽しむために生きていれば、イジメをするような人間の相手をする暇などありません。こっちから無視するか、法に訴えるか、関わらずに済むようにケリをつける方法を考えましょう。
 その方法を見つけるために、ドラマや映画や小説やマンガを親子で楽しむ、というのも良いのではないでしょうか。