就職難とはいうけれど

高度経済成長が終わり、バブルがはじけ、リーマンショックがあり、就職の状況が大きく変わっています。
一流大学を出て大手企業に勤めれば一生安泰、という構図も変わってきました。
そもそも一流大学を優秀な成績で卒業しても、希望の企業にすんなり就職できるとも限りません。
それでも、その幻想から抜け出せず、子どもにエリートコースのための勉強をさせる保護者も多いのが現状です。
日本人は素直なので、お国のために戦争は必要と教えられればそれを信じたように、できるだけ良い学校を出ることが子どもには必要と信じると、それ以外の生き方が信じられなくなったりします。

エリートコースにもバブリーな生活にもまったく縁のなかった身にとっては、案外良い環境になってきたのではないかとも思います。
一流校を出て一流企業に勤めてなきゃ落ちこぼれ、なんて価値観が崩壊したおかげで、いくつになっても自分の能力を磨き、自分の好きなことを追求し、自分で可能性を開くことが普通になってきているのですから。

子どもの同級生にも、高校を中退して大検を受けて大学に進学した子、大学を中退して美容師を目指す子などいろいろいます。
親としては自分たちの時代とあまりに違って戸惑うようですが、好きなことを見つけて頑張れる子は、優秀でも好きなことが見つからない子よりずっと幸せです。
うちの子ども達も、学校の成績はまったくダメですが、みんな好きなことがあって、そのために働いて、お金も時間も好きなことにつぎ込んでいます。
まともな家庭を築いて一人前の大人になる、などという発想はなくて、一般的な考えからは将来が不安な子どもばかりですが、もう成人もしたことだし、老後の面倒を見てもらおうとも思わないので、勝手に自由に生きていってくれれば良いと思ってます。

こんな親になったのは、商売人の家庭に育って、小さな頃から世の中の底辺を見てきたからでしょう。
小学校に上がる前から、お金の貸し借りだ、夜逃げだ、人にだまされたなどの生々しい話を聞いて育ちました。
「またお金貸して夜逃げされて、何度だまされるんだろう。この親大丈夫か?」
など幼児期から大人に批判的で、自分もいつ夜逃げの生活を強いられるかと不安な毎日を送っていました。

少しずつ高度経済成長の兆しが見え、周囲には豊かな暮らしをする友達も増えていましたが、戦時中の「贅沢は敵だ」という思想が消えない親の元では、洋服もオモチャも買ってもらえません。
習い事だけは贅沢で、ピアノ、習字、そろばんと、当時としては珍しく毎日習い事に通っていました。(商売の邪魔だったからでしょうが)
家にいると怒られてばかりいたので、習い事は熱心に通いました。
丈夫なこともあって休んだこともありません。(ただし、家で練習したことはありませんが)
親への信頼が薄いので、いつまで通えるかもわからず、やれる時にできるだけやっておこうと思ってました。

まさか、小学校の時に習ったそろばんを仕事にするとは夢にも思っていませんでしたが、そろばんの先生に、
「お前は本当にそろばんが好きだなあ」
と言われたことは覚えています。
あ、自分はこれが好きなんだ、と気づきました。
親には褒められたことがなかったので、すごく嬉しかった思い出です。

親は好きで本屋をやっていたわけではなく、
「好きなことを仕事にできるのが一番しあわせだぞ」
というのが口癖でした。
自分で選んだ商売なんだからもっと真面目にやれ、と内心思ってました。
それでも、十代で戦争で特攻するつもりが予想外に生き残ってしまい、親戚の手伝いから本屋になってしまった人生を思うと、どんな生き方でも自由に選べる時代に生きられるのは幸せだと実感します。

既成の価値観に左右されず、自分の能力を最大限に活かして、好きな事を仕事にして、そこそこ生活ができれば幸せだと思います。
どんなに好きな仕事だって、人間関係、金銭関係、諸々の事情で苦労は絶対あります。
それでも、何を取捨選択するかは自由なのです。

もし好きなことが見つかったら、親や周囲の大人の反対など押し切ってでも頑張ってほしいと思います。
もし好きなことが見つからなければ、本を読んだり、映画を観たり、いろんな場所に行ったり、いろんな人と出会って、好きなことを見つけてほしいと思います。
それを仕事にするか、仕事とは別に大切にするかも自由です。
希望通りにいかない事の方が多いのも人生です。
これがダメなら次はどうするか、常に次の手を打つことも必要です。
もうだめだ、ってことは絶対ありません。

社会の大きな力に人生を決められるわけではなく、自分の人生は自分で選ぶ自由があるのですから、みんな好きなように人生を楽しんでほしいと思います。