浜辺の歌

♪朝(あした)浜辺を さまよえば
昔のことぞ 忍
ばるる

テレビCMで懐かしい歌が流れてきました。
小さい頃両親に歌を教えてもらった風景を思い出しました。

3坪ほどの小さな本屋のついた6畳一間に両親と弟と住んでいて、夜の縁側で、父がハーモニカを吹いて、母が歌ってました。
お店から歌の本を持ってきて、当時の学校でも習わないような、戦前の小学校唱歌や童謡などを家族四人で歌った記憶があります。
「おぼろ月夜」や「箱根八里」などは、確実に親から習った歌です。

両親は、音楽だけにはコンプレックスがあったために、子どもの幼稚園の習い事にはオルガンとバイオリンを選んだ、と言っていたことがあります。
それでも、父は海軍で覚えたというハーモニカが伴奏付きで吹けるほどで、音符は読めなかったと思いますが、いろんな曲を吹いてくれました。

私は、子ども時代に戻りたいと思ったことはまったくなく、早く大人になって自由になりたい、とずっと思ってました。
小2くらいから店番などの手伝いもし、10年前に店をたたむまでずっと本屋を手伝っても来ましたが、怒られてばかりいる子ども時代でした。

弟はずいぶん可愛がられ、両親に叩かれたことはないと思いますが、弟と喧嘩しては叩かれ、生意気なことを言っては叩かれてました。
両親が夫婦喧嘩をすれば八つ当たりをされ、たまったもんじゃありません。

まあ、自分で思い返しても生意気で可愛げがなく、幼児期から、たとえ家族でも人前じゃ絶対泣かないぞ、と決心してたので、縁側から叩き落とされても親をにらみ返してたくらいですから、腹立たしいことこの上なかったことでしょう。

弟の方はすぐに泣くので、叩くどころか、ろくに怒られもせず、そのしわ寄せが私に集中してたのでしょう。
泣けば逃げられるというのは弟の作戦でしかなかったのですが、そんな卑怯くさい手を使ってたまるか、と思って、どんどん強く生意気に可愛げなく育ってしまいました。

それでも、時には家族仲良く歌を歌って過ごしたりしてたんですね。
そのせいか、いまだに喧嘩が絶えない弟とも、共通の趣味の音楽は多く、
中学生くらいまで、一緒にレコードを聴いたり、歌ったりしてました。

家を建て直して部屋数が増えて、縁側もなくなってから、11歳離れた妹が生まれました。
家族五人になってから、家族みんなで歌を歌ったような記憶はありません。
一間しかない小さな家で家族が寄り添って住んでいたからこその思い出です。

妹とは、二人で歌った記憶しかありません。
妹が赤ちゃんの頃は、背負って寝かしつけながら、「ゆりかごのうた」を歌ってあげたりしてました。
中学生くらいまで一緒に幼児番組も見てたので、新しい童謡もずいぶん覚えました。
バナナン、バナナン、バナナ!
と踊りながら歌ってたら、親が通りかかって、
「いい年して何バカなことやってるの!」と怒られました。

長女が生まれ、おすわりができる頃、最初に与えたのは歌の絵本です。
コンコンコンコン、クシャン!
など擬音の多い歌で、きゃっきゃと喜んでました。
「あめふりくまのこ」とか大好きな歌がいっぱい入ってて、人形の写真がかわいい絵本は、長女のお気に入りでした。

赤ちゃんと親が一対一の場合、会話も成り立たず持て余すこともあるでしょうが、しゃべれないうちでも歌ならわかります。
手遊びをしながら一緒に歌えば、大喜びです。
一緒に歌いながら踊ったって、怒る人は誰もいません。

成長と共に子どもに望むことが増えていって、いろんなことをやらせなきゃ、と思うことも多くなりますが、子どもが将来どんな原風景を持てるかは親次第です。
贅沢な食事をしたり、豪勢な旅行に連れて行くより、案外普段の生活の中で、一生心に残る風景が作られていると思います。