別れの年

今年は、元旦に西国分寺の実家で飼ってた父の形見の老犬の葬式(ペット用火葬)をし、夏に母の葬儀、先日母の妹の夫にあたる叔父の葬儀と別れが続きました。

11月末に、7年間預けていた父の遺骨と共に、母の遺骨を羽田沖に散骨しました。
釣り好きの父がかつて毎月のように行っていた場所です。
叔母にとっては、一番慕っていた姉を亡くし、散骨で見送った直後、突然夫が倒れ、意識が戻らないまま一週間の別れの時間を過ごした後看取るという、つらい日々が続きました。

うちの場合、父の時は母と兄弟三人で、母の時は弟が結婚したので弟の嫁と兄弟三人で、手分けして葬儀準備や様々な手続きをしたのですが、大変でした。
八王子に住む叔母のところは三十代の未婚の従妹が一人だけなので、万が一の場合さぞや大変だろうと思いました。
誰よりもダメージの大きかった叔母が心配なこともあり、もしもの時はすぐに駆けつけるから、と母の葬儀の時に従妹と携帯のアドレスを交換しあったばかりでした。

叔父が倒れた時、すぐに弟と駆けつけましたが、5時間の手術中、叔父方の親戚とは連絡が取れず(真夜中だから無理もないのですが)、四人で取りとめもないことをしゃべって過ごしました。
母の時は、子ども三人と弟の嫁と妹の婿と孫達とで病室いっぱいで、看護士さんがびっくりするほどでした。
葬儀の時には、兵庫の父方の従兄弟や茨城の母方の従兄弟まで何人も来てくれて、大往生ということもあり、賑やかな葬儀でした。

叔父が息を引き取った時も夜中で、弟が出張中だったので私一人で駆けつけ、叔母と従妹と三人で葬儀の段取りを決めてきました。
父のとき、誰も直接葬儀準備の経験がないため、判断基準もなく、葬儀社の言いなりになることが多く、困った経験があります。
母にしても叔母にしても、父親は子どもの頃なくし、母親は一緒に住んでいた叔父が取り仕切ったので、何も知りません。
特に叔母は、旦那さんが亭主関白で全て一人で管理していたので頼りきりで、叔父の宗派さえ知らず、自分の判断基準がほとんどありません。
二回の葬儀経験というのは、葬儀社の言いなりにならず、可能な限り予算を押さえつつ、遺族の希望に近い葬儀を行うのに多少役立ったようです。

大抵の場合、死は突然やってきます。
長い闘病生活の末でも、準備万端整えて迎えるということは難しいでしょう。
昔ながらの親族が集まって住んでいる地域では、誰かしら経験者がいて助言してくれるでしょう。
でも、子どもの数が減り、親戚付き合いや近所付き合いも減っている都会では、身内の死が初めての死の経験ということが多いでしょう。
その場合どうしたらよいか、ある程度の準備は必要だと実感しました。

今回三度目の経験で、葬儀場に納棺の儀式ができる一般家庭のような座敷があるのを知りました。
両親の時は、実家に一つ広い部屋があるので、病院からもすぐ運んでもらい、納棺の儀式もできました。
自分の時は、自分一人寝たら誰も入れないような狭い部屋で、自宅に運んでもらうわけにいかないからどうしよう、とずっと思ってました。
病院で亡くなると、できるだけ早く連れて帰ってほしいと言われて、どこへどうやって?ととまどったりしますが、自宅じゃない場所を手配してもらおうと思いました。
あとは、無宗教なのでお寺の都合とか関係なく、火葬場の都合だけで可及的速やかに見送ってくれるように周囲に頼んでおきました。

うちにも子どもが三人いるので、親が倒れた時くらいは協力して何とかしてほしいものです。
親自身も、ある程度の親戚付き合いや近所付き合いをし、万が一のときに協力してもらえるような準備をしておきたいと思います。

亡くなった叔父は、亭主関白で頑固なところもありましたが、叔母を大変愛してるのが見て取れました。
母の葬儀のとき、
「この叔父ちゃんは叔母ちゃんにべた惚れなんだよ~」
と娘に言って叔父をからかうと、
「言うなよ~」
と酔っ払った叔父は照れてました。
81歳になってもかわいい人でした。