「ノルウェイの森」に思うこと

母の入院前に読み始め、死をはさんで読み終わった本が、図らずも生と死を見つめたストーリーでした。 

村上春樹には興味がなく、かつて実家の本屋で山積みになっていた時には読まなかったのに、映画化で文庫本が山積みになっているのを見て今更のように読んでみました。
春樹ワールドに余りはまらないのは、フィッツジェラルドやコンラッドやトーマス・マンなどの海外小説を一通り読んでないために、本当の世界観を理解できないからかもしれません。 
タイトルだけでなく、ビートルズナンバーを初め、クラシックや懐かしいジャズ、ロック、映画音楽などが次々と出てきて、BGMに溢れた小説でした。 

主人公の大学時代の女友達が本屋の娘だったことが、身につまされました。 
二年前に母親を亡くし、父親も同じ脳腫瘍で入院中で、姉と二人で本屋を手伝いながら看病に通うという過酷な生活が続いている頃、主人公と知り合います。 
父親の死後、本屋を処分して、アパートで姉と二人暮らしを始めるのですが、 最初のうちは姉と二人で、こんな楽な暮らしで良いのか、そのうちどんでん返しが来るのでは、と緊張して生活していた、と主人公に話します。 

まったく他人事とは思えません。 
8年前に実家の本屋を処分してなかったら、多分同じ境遇だったでしょう。 
子育てをしながら、夜の10時過ぎまで本屋を手伝い、弟と会社を運営し(この両作業はほぼ無収入)、珠算教室のみで細々と生活費を稼ぎつつ、入院した親の病院に通って最後を看取る、という可能性が限りなく高かったと思います。 

本屋を処分して借金を返済したことは、その翌年亡くなった父の生きる意欲を減退し、死期を早めたと思いますが、確実に母の最期の8年間を楽で充実したものにしたし、子どもの生活もお気楽なものにしてくれました。
10年以上前の写真を見て子ども達は、
「お母さん今より老けてる!」
と言います。(本人はまだ若くてスッピンでも大丈夫と思ってたのが間違いでした)
親の商売に振り回され始めた30代前半から、自分では気づきませんでしたが、かなり生活に疲れていたようです。

母は、10年来C型肝炎の治療を続けながらも、この8年間は、好きでもない商売からも借金からも開放され、好きなことを楽しみ、おいしい物を食べ歩き、充実した老後を過ごしました。
プリザーブドフラワーの教室に通ったり、「千の風になって」を聴いて秋川雅史の大ファンになり、自分で電話をかけまくってチケットを取ったり、毎月のように歌舞伎に行っていて、退院して二週間後のチケットまで持っていて、回復して見に行く気満々でした。
吐血して出血多量で失神した状態で亡くなったので、本人は死んでしまったことに気づいてないかもしれません。
自分でできる範囲の仕事は片付けて入院し、辞世の句まで残してあり(広告の裏紙に書いてあったのが母らしいと爆笑でした)、遺影などすべて準備万端で、誰もが羨むような最後でした。

自分を振り返ると、やろうと思いつつやりかけた事だらけで、死ぬ前に3ヶ月くらいの余裕をもらって、片付けと部屋の大掃除をしてからでないと、死んでも死にきれません。
葬儀費用さえ残す余裕はないので、お経も戒名も一切なしで、なんとか火葬だけは済ませられる費用くらい残さなければと思いました。

残された側は何かと後悔することが多いものですが、やりたいように好き勝手に生きてきたので、誰も何も後悔しなくて良いよ、と言っておきたいですね。
そして、できるだけ子どもたちや周囲に世話をかけずに最後を迎え、
「あ~楽しかった!」
と言って死にたいものです。
そして、お経の代わりに遺したCDをかけてもらって、爆笑ネタを暴露しあって、みんなで笑い飛ばして見送って欲しいと思います。