読書の環境

子どもを本好きにしたい、とは多くの親が思うことでしょう。
とりあえず、手近に本があって、小さな時は親が本を読んであげること、大きくなったら親が本を読む姿を見せること、などは必要かと思います。

そうはいっても、同じ環境に育っても同じように育つとは限りません。
次女はかなり本好きで、長女も海外の文学なら読みますが、長男はライトノベルくらいしか読みません。
それでは、次女に一番本を読んであげたかというと、そうでもありません。
次女の小さい頃は、いろいろと忙しい時期で、夜になると親の方が眠くなってしまいます。読みながら半分寝ぼけてデタラメを読むので、年中子ども達から訂正されていました。
まあ、それで親は頼りにならない、と自分で読むようになったのかもしれません。

我が家には、昔実家が本屋だったおかげで、ちょっとした本屋が開けるほど本はあります。(全部読んだの?と言われると積ん読の方が多いのですが)
文庫なら日本文学、西洋文学、古典までいろいろ揃ってます。
それなのに、そのほとんどは誰も読んでくれません。

たまに、話の流れで、こんな本があってね、などと話すと興味を持ってくれます。
カフカの「変身」などは、マンガやいろんなところにパロディとして使われていたりして、元ネタはカフカだよ、なんて話すと、長女などは飛びつきます。

先日は、次女と国語の話をしていて、それにしても夭折の作家って二十年くらいの人生で普通の人の一生分の体験をするのかね、という話になり、ラディゲの話をしました。
「肉体の悪魔」なんて、十代の子が書いたとは思えないよ、なんて話をしたら、下ネタ好きの親父ギャルは俄然興味を示します。
親がそんな本読ませて良いのか、という批判は気にしません。(次女が「蛇とピアス」を友達に貸したら、なんて本貸してくれるのよ、と驚くようなお堅い親じゃないもので。)
多少際どい描写があっても、それを上回る感動があれば、ぜひ読ませたいとも思います。
しかも、同年代の17歳くらいで書いている作品であれば、文学部などで多少でも小説らしきものを書いている次女にとっては、相当な刺激になるでしょう。

普段から、興味を持ったら読んでほしいと思い、読んだ本は食卓近くに置いておきます。
(特に、勉強法などの本は、次女に読ませたいと思いつつ)
先日ご紹介した「脳を活かす勉強法」の本も、消えていたので、次女が読んでくれたか、と思ったら、珍しく長男が読んでいました。
マンガなら、少年マンガ青年マンガから、少女マンガまで制覇する長男で、ライトノベルは読んでも文学書などはほとんど読まず、ベストセラーにも興味がありません。親としてもあまり期待していなかったので、ちょっとびっくりしました。

そろそろ勉強しようかなと思って、それには効率的にやった方がいいかな、と読んでみたそうです。(大学の二年間は何やってきたんだか・・・)
自分がやってる方法が結構あって、それが科学的に解説されてて面白かったそうです。

初めて、本のある環境は必要なんだ、と実感しました。
自分は、あんなに本に囲まれた贅沢な環境に育ちながら、マンガばかり読んでまともな本は少ししか読まず、なんてもったいないことをしてたんだろう、とつくづく後悔してます。
それでも、本の知識だけは人並みに持てて、子ども達に多少は教えることができただけでも無駄ではなかったのでしょう。

本をたくさん読んだからって偉くなれるのか、成功できるのか、と聞かれると、定かではありません。
だけど、成功している人のほとんどは、確実に大量の本を何度も読んでいますし、読書は必要条件であることは確かだと思います。
そのうえで大量の行動を起こさなければ、十分ではないのでしょう。

でも読書は、いろんな世界を体験でき、感動できるってことだけで価値があるでしょう。
せっかく、読もうと思えばいくらでも本が手に入り、小さい頃から働かなければならないとか戦わねばならない、などの過酷な環境でもない日本にいるのです。
毎日10分でも15分でも時間があれば、本は読めます。
たくさんの子ども達が、たくさんの感動を味わってほしいなと思います。