それぞれ、違っていていいんだよ

『五体不満足』の乙武洋匡さんが、今年の四月から小学校の先生になったそうです。
『だから、僕は学校へ行く!』では、スポーツライターから教師を目指すまでの経緯、世界中の学校を巡った体験、「新宿区子どもの生き方パートナー」として、新宿区の小中学校を巡った体験、二十代最後の一年間に通信教育で教職課程を取得した体験などが書かれています。
そこには、自分が体験した教育を振り返りながら、現在の様々な教育の問題が提示されています。
「ゆとり教育」「危機管理」「体罰」「セクハラ」「地域格差」「学力低下」「多国籍化」「障害児教育」「いじめ」「不登校」などの問題を、実際の教育現場で見て、現場から離れたところで、具体的に何も行動してない人達が教育問題を討議していることの無意味さを感じていきます。

体罰の問題。
いじめっ子だった乙武少年は、ほかの仲間同様に、車椅子から弾き飛ばされるほどのビンタを先生からもらい、初めていじめた女の子の気持ちがわかった、と言います。
でも今は体罰がまったくなく、忘れ物をしても、いじめをしても、大した叱られ方をしてないことに疑問を持ちます。

体罰は、戦時中の学校令から禁止されていてたのが、保護者の意識の違いから、現在のような絶対禁止という状況になったのでしょう。
私自身、中学などで見てきた体罰に納得のいくものは一つもなかったので、他人である教師が体罰をすることには無理があると思います。
だからといって、何をやっても許されるという環境は、決して子どもに良いとも思えません。
言ってもわからなければ、身を以ってわからせる必要もあるでしょう。
物は使わず自分の手を使って、叩いた方も痛みを感じること、耳や顔、背中など、後遺症が残る危険性がある場所は避けることなど、最低限のルールは守ることが絶対条件ですが。
いけないことは絶対いけない、ということを、熱意を持って体を張ってわからせることも時には必要であり、その役目は、今や親しか果たせないのです。
親子のコミュニケーションも取れず、体を張って子どもに向かえない親は、自分の保身しか考えてないと子どもから見透かされることになるでしょう。

障害児教育の問題。
ご自身は、周囲の人々の協力で、当然のように公立の普通学校で小、中、高と過ごされて、厳しくもあたたかい先生方に恵まれて、将来を見据えた教育を受けられたそうです。
ある小学校の運動会で、脳性マヒの女の子が、みんなの協力で競技に参加する姿を見て、涙が流れてしかたなかったそうです。
自分が子どもの頃、同じように運動会で大人たちが勝手に泣いているのを見て、腹が立ってしょうがなかったから、なんとか我慢しようと思っても無理でした。
重度障害者の自分が、何の疑問もなく学校に通い、遠足に行き、プールに入り、運動会に参加できた背景には、両親、先生、地域の大人たちが、どれだけアイデアを出し合い、協力してくれたかがわかり、その苦労と当時の自分を振り返ると、涙が止まらなかったそうです。

この方も、先生になるべくしてなった、という気がします。
自分が教師になった場合、生徒を守るどころか生徒に助けてもらうことが多いだろう、体育の指導はどうするか、災害が起きた場合どうするか、など様々な困難や不安がありました。
それらを補助教員や最新設備でフォローしてもらい、杉並区の公立小学校の先生に採用されました。
生徒や周囲の教職員へ迷惑をかけながら、教師として自分だからこそ与えられるものは何か?
あきらかに他人とは違う形で生まれてきたことで、「それぞれ、違っていいんだよ」ということを身を以て子どもたちに伝えたい。
それを実際の教育現場で実践するために、小学校の先生への道を選びました。

イタリアのナポリの学校を取材したときの話も素敵でした。
ナポリは、風光明媚な観光地ですが、マフィアの巣窟ともいわれ、学校も授業にならない騒ぎがあったり大変です。
学校からはみだした子ども達は、マフィアの予備軍となりやすいので、なんとか学校に呼び戻そうと先生方は必死です。
乱暴な子どもにも、身体を張って向かっていき、何度問題を起こしても見放しません。
「信頼して待つこと」がここの先生方の信条です。
教育の基本だと思います。

親は子どもが心配で、口を出したり、先回りしたり、先走ったりしてしまいがちです。
なかなか子どもを信頼して待つ、ということができません。
「時間間に合うの?」「忘れ物ない?」「ちゃんと勉強してるの?」「さっさとしなさい」「さっさと寝なさい」と、頼りない子どもの顔を見ると何か言いたくなってしまいます。
信頼しろって言われても、放っておいたらどうなるか・・・
いつまで待ったら成長してくれるのやら・・・
何度失敗しても反省しないし・・・

でも、口出ししても成長するわけじゃなし、結局は自分で気づいて、自分でなんとかする意志が生まれない限り無理なんですよね。
そろばん教室では、できる限り「待つ」という姿勢でやっていますが、自分の子となると難しい。
「待つ」というよりは「放任」(見ないようにしてるだけ)状態。
「信用」もおけない子どもに「信頼」はさらに難しい。
だけど、親が頼りなくて、子どもを頼ると、しっかりしてくれる面も出てきますけどね。