博士の愛した数式

先日、次女と「博士の愛した数式」のDVDを見ました。
一年くらい前に原作を読んで、次女にも勧めたのですが、数学嫌いの次女はイマイチ興味を示しませんでした。
けれど映画を見て、読んでみようかな、と言っています。
数学にも数字にも相変わらず興味は湧かないけど、登場人物が興味深いからみたいですが。

とは言いつつ、不思議な数字の関係には感動していました。
映画版では、数学の説明のためか、息子が中学の数学の先生として登場し、博士が話す内容の解説をしてくれます。
ところどころ設定は変わっていましたが、映画版も原作の良さを生かして作られていました。
自分の大好きなものをとことん愛し、大切にする姿勢を教えてくれるお話です。

以下は小説版の紹介で、ご自分で読もうと思われる方は、ご覧にならない方が良いかもしれません。

交通事故で、1972年以降の記憶は80分しかもたない元数学教授と、そこに雇われた家政婦と10歳の息子の交流のお話です。
子どもの頃から数学だけが友達で、数字や数式の美しさを愛し慈しむ博士が、とても愛らしい。
毎回会うたびに初対面となる家政婦に、靴のサイズや電話番号や出生時の体重を尋ね、それぞれの数字のすばらしさに感動しています。
「24とは潔い数字だ。4の階乗だ」
「素晴らしいじゃないか。それは一億までの間に存在する素数の個数に等しい。」
「君の誕生日は、僕の受賞記念の時計に刻まれた番号と友愛数だ。滅多に存在しない組合せだよ。」

家政婦は、学生時代には数学なんて寒気がするほど嫌いだったのに、この博士の数字の解説に、自分に関わる数字がそんな偉大なものだったなんて、と驚きつつ、数字に関する博士の説明に関心を持っていきます。
そんな博士が、家政婦に10歳の息子がいることを知り、
「息子を放っておいて他人の食事を作っているなんて、いかんいかん」
と、普段の物静かな態度を一変させて、家政婦を追い返してしまいます。
次からは息子をここに来させなさい、忘れるだろうって見くびってはいけない、メモしておくからね、ということで、家政婦協会で禁止されている子連れのお世話を始めます。

息子が来ると、博士は満面の笑顔で迎え、両腕を広げて抱きしめて、歓迎します。そして、野球帽を取り、平らな頭をなでて、名前を聞く前に愛称をつけます。
「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号だ。」
それまでずっと母子二人だけで生きてきて、小さい頃から一人で留守番をさせ、息子が誰かに抱擁されることなどなかったので、博士から愛情一杯に抱擁されるのを見て、母親は幸せな気持ちになります。

子どもに対して、ものすごく真摯に向き合い、その存在を絶対的に尊重する、という博士の態度は、多くの親が反省させられるでしょう。

博士は、数字に関してはものすごい記憶力で、80分の記憶しかないにもかかわらず、身体中にメモを貼り付けることで、難しい数学の懸賞問題を解いて、何度も一等の懸賞金を獲得しています。
それなのに、自分が取るに足らない、つまらない小さな人間だと思っていて、ものすごく謙虚なのもかわいらしい。
いくらお金を儲けても、お金だけが目的でお金持ちになったり、自分を偉そうに見せようと他人を馬鹿にしたりする傲慢な人達には、何の魅力も感じないし、尊敬にも値しません。
自分の好きなものに夢中になり、情熱を燃やし、大切に愛して慈しむことができる人の方がずっと素敵です。

博士は毎朝起きると、
「僕の記憶は80分しかもたない」
というメモを見て、毎日その事実にショックを受け、そのために周りの人間に迷惑をかけることを恐れ、数学のためだけに控えめに生きています。
そんな博士が、野球好きで、息子と同じ阪神ファンだというのが意外でした。
中でも江夏の大ファンで、うっかり息子が、江夏は他の球団にトレードして今は引退したよ、という話をしたら、17年間の記憶のギャップを思い知らされ、江夏が阪神以外に行くなんて、とものすごいショックで、慰めようもないくらい落ち込んでしまいます。

でも実は、博士はテレビもない家に住み、誰もが野球場で試合を見られるということも知らず、野球の試合を一度も見たことがないのです。
博士にしてみれば、野球ほど数字に満ちたスポーツはなく、大学の図書館のスポーツ新聞で読む野球のデータだけで、ルールを知り、ひいき球団を作り、江夏の大ファンになったのです。
記憶がなくなる1972年以前の野球データは、小数の単位まで記憶され、その細かい数字の流れで試合を想像し楽しんでいるのです。
そして、野球カードを集め、几帳面に分類し、大切に缶に保管しています。
博士にとって、試合を見たこともやったこともないのに、野球は数学同様に大切な存在なのです。

博士が大切に野球カードをしまっている缶の底には、数学の論文が隠されていました。
その間に、若い頃の博士と、はにかみながら寄り添う女性の写真が挟んでありました。
その女性は、冷ややかで事務的に家政婦を雇った、博士のお兄さんの未亡人でした。
みすぼらしい博士の家とは別棟の、りっぱな家に住み、決して博士の家には顔を出しません。それでも、家政婦の休みの週末には、博士の世話をしているようでした。
論文の一番最初に、
「~永遠に愛するNへ捧ぐ。あなたが忘れてはならない者より~」
と手書きで書かれていました。
博士には、数学と野球以外にも、とても大切に慈しんでいるものがあったのです。

家政婦は、ある日突然解雇されます。博士が専門の医療施設に入ることが決まったからです。
家政婦は、施設でもお世話しましょうか、と申し出ますが、未亡人は、
「私がおります。義弟は、あなたを覚えることは一生できません。けれど私のことは、一生忘れません。」
と断ります。
夫の遺産で生活し、仕方なく義弟の援助をしている、と思われていた未亡人にも、永遠に変わらない想いがあり、博士への信頼からくる自信があったのです。

数学と野球と記憶喪失というかなり特異な状況設定はあっても、特別大きな事件が起きるわけでもなく、坦々と時間が流れていきます。
その中で、数学と野球と未亡人に対する、控えめだけど深く静かな博士の愛情、80分という細切れの時間に示す家政婦親子への愛情が、人も物も大切に慈しむ真摯な姿勢を教えてくれます。