CAN(やればできる)

2月に会社の申告、3月に個人の申告があって、忙しい日々がようやく終わりました。
日常的に整理しておけばどうってことない作業を、ため込んでしまうがために、毎年苦労するのはわかってるんですけどね。

でも今年こそは、毎月帳簿整理して、きちんと仕事しよう、とつくづく思いました。
いつものごとくたまった領収証と新しく導入した経理ソフトの狭間で、なかなか本腰が入らず、100枚近くCDを用意して、ガンガン音楽をかけまくって外の世界から隔離されて集中して、もう間に合わないかも、という気分を吹き飛ばしながら、どうにか片づけました。

始めてしまえば、どうってことないのです。
書類を分類して、整理して貼って、仕訳しながら入力して、チェックして、決算書を作成する、というそれぞれの作業はさほど嫌いではないのですが、何事につけ始めるまでに時間がかかり、コンスタントに作業をこなすことが苦手です。
毎日の積み重ねが大切な英語などが苦手なのは、多分この性格のせいで、みんなに遺伝して苦労させて、子どもらゴメンよ、と思います。

そろばんで培った集中力がなければ、多分何もこなせないとは思いますが、こんなに早くできるなら、早く始めればたくさんの仕事がこなせるのに、とわかっていてもなかなか実行できません。
人生の敗因はこれだな、と反省はしてるんですけど。

先日テレビの「アンビリバボー」で、すごい親子を見ました。
全身マヒで生まれて来た男の子とお父さんの実話です。

ヘソの緒が巻き付いて生まれたため脳に損傷があり、全身マヒで知能の発達も望めないだろうと特殊施設へ預けることを勧められた赤ちゃんを、自分たちで普通の子と同じように育てようと決心した夫婦がいました。
手足も動かせず、声も出せず、何の反応もなかった男の子リックに、両親は毎日話しかけ続けていました。
ある日、父親ディックが目の前を通り過ぎると、それを目で追い、落ちたコップにびっくりして泣いたことで、リックは、耳も聞こえており、自分の意思もあることがわかり、両親は大喜びします。
それから、リックからの意思表示はなくても、いろいろな言葉を教えていきました。

ある大学で、頭の上下左右の動きで入力できる装置を研究していることを知ったディックは、5千ドルを寄付して研究の援助をします。
試作品が完成すると、リックは文章を入力し、ちゃんとコミュニケーションが取れることを証明しました。
一行を入力するのに10分もかかる作業でしたが、それで勉強ができるようになり、同年齢の子と同じ知的レベルであることを証明し、普通のハイスクールに通えるようになります。

友人の協力の元に、普通の子と同じように学校に通い勉強ができるようになると、リックは、自分が何かをできないかを考えるようになりました。
ある時、地元の大学のスポーツ選手が事故で全身マヒになり、その応援のための8キロのチャリティマラソンが開催されることになりました。
リックは、そのマラソンに出たいとディックに言いました。

同じ全身マヒになった選手のために何かしたい、というリックの意志を知って、ディックは車椅子を押してマラソンに出場することを決心します。
ディックはそのとき、運動不足で中年太りになりかけの38歳。マラソンの経験もありませんでした。
毎日、走る練習だけでなく、60キロ以上の車椅子とリックを押すための腕力を鍛え、二週間後、二人で8キロを完走します。
全身の筋肉痛でクタクタのディックでしたが、
「走っているとき、障害者だってこと忘れてたよ」
というリックの言葉に疲れも吹き飛びました。
そして、今度はフルマラソンに出たい、というリックの希望を叶えるため、車椅子を軽量化し、自分の身体を鍛え、各地のレースに出場するようになります。

息子のために日々努力してくれる父親に応えるように、リックは勉学に励み、名門ボストン大学に入学します。
そして父親のディックは、たるんでいた身体が鍛えられ、日増しにアスリート体型になっていきました。

マラソンを始めてから4年後、世界的なボストンマラソンの車椅子部門に申し込みました。
けれど車椅子部門は、自分で車椅子を動かせる人しか参加できません。
懸命に頼んでどうにか参加はできましたが、正式な出場ではありませんでした。
しかし、その2年後のボストンマラソンでは、一般部門での出場が認められました。
ディックは、車椅子を押しながらもタイムを伸ばし、リックと同じ20代男子の出場資格をクリアしていたのです。

アスリートとしての評価が高まってきたディックは、勲章が授与され、トライアスロンレースの招待選手に選ばれました。
それは、アスリートとして大変名誉なことでしたが、ディックだけ、ということだったので、それでは意味がないと出場を断ります。
するとリックは、トライアスロンに出たい、と言い出します。
水泳、自転車、マラソンという、とても過酷なレースです。
しかも、ディックはそのとき、ほとんど泳げませんでした。
とても無理そうなことに挑戦するときに、いつもリックが言ってくるのが、
「CAN」(できるよ)

それから5年後、49歳のディックとリックは、世界一過酷なトライアスロン、ハワイ・アイアンマンレースに出場します。
ゴムボートに乗せたリックを牽引しながら3.9キロを泳ぎ、前にリックが座れるカゴをつけた自転車で180.2キロを走り、車椅子を押しながら42.195キロのフルマラソンを完走しました。

その後もいろいろなレースに出ていた二人ですが、ディックが62歳のとき、レース直後に心筋梗塞で倒れます。
幸い処置が早かったため命に別状はありませんでしたが、医者から言われた言葉に驚きます。
「もし身体を鍛えていなかったら、50歳まで生きていられなかったでしょう。」
リックに言われてマラソンを始めていなければ、今まで生きていられなかったのです。

ディックは、66歳になった今でも、リックといろいろなレースに出ています。
リックは、猛勉強の末ボストン大学を卒業し、全身マヒを抱えた最初の学位取得者になりました。
そして45歳の今、大学のコンピュータ研究所で、障害者用の補助装置の研究をしています。
リックの一番の夢は、一回でいいから、お父さんを車椅子に乗せて押してあげること、だそうです。

普通に生活ができていると、普通であることが当然だと思い、感謝もしなければ、それ以上に頑張ろうとはなかなか思いません。
まして、毎日身体を酷使して、それを何年も続ける、ということは難しいでしょう。
すごい!と感動しても、子ども達に話して、共感し合うだけで終わってしまうところが、ダメ親子なんですけど。
でも、信じられないほどすごい偉業は達成できなくても、自分にももっと何かできるのでは、と思わせてくれません?