呉下の阿蒙に非ず

中国の三国時代に、呂蒙(りょもう)という猛将がいました。
有名な赤壁の戦いなど、いくつもの大きな戦いで功績を残す武将でしたが、教養が全くなく、主君の呉の孫権から教養の大切さを諭されます。
それから猛勉強をし、久しぶりに会った呉の参謀・魯粛(ろしゅく)からの質問に次々と答え、
「呉下(ごか)の阿蒙(あもう)に非(あら)ず」(呉にいた頃の蒙君とまったく違う)
と魯粛や孫権を驚かせます。
その後魯粛の後を継ぎ、呉の参謀となり、文武両道の武将になります。

呂蒙は、成人してから勉学に励んで、短期間に成長した人物の代表になりました。
逆に、「呉下の阿蒙」とは、進歩のない人間のことを言います。

最近そろばん教室には、成人の生徒が増えてきて、小さな子と一緒に、そろばんの初歩から学んでいます。
就職するまでの半年間という制約の元に週三日通ってきている大学生は、半年もしないで、まったくの初歩から三級合格まで一気に上達し、残りの一ヶ月で二級合格を目指しています。
元々「呉下の阿蒙」とは違って勉強に馴れているとはいえ、ものすごい進歩です。
一般のお勤めをしながらや主婦の仕事の合間に練習をしている人もいます。
年齢に関係なく、自分の能力を伸ばしたいと思えば、いつでもできるのです。
仕事が忙しい、時間がない、もう手遅れ、などと言い訳を言う前に、やりたいことがあるなら、まずやってみることです。
親になると子どもに依存して、自分でやりたいことまで子どもにやらせたり、自分をごまかしてしまいがちです。
いくつになっても、自分がいいと思ったことは、自分でやればいいんです。
子どもは子どもで頑張ればいいように、親は親で、死ぬまで自分の可能性を信じるべきです。

とはいえ、まだまだ大きな期待をかけられる子どもがいると、どうしても子どもに予算も時間も取られ、親にまでお金も時間もかけられないのが現状でしょう。
どんなに予算や時間をかけても、勉強嫌いの「呉下の阿蒙」ばかりを育ててしまっている親としては、これ以上子どもにかけるよりは、自分にかけた方がマシ、と親としてはあきらめムードもあるのですけどね。

ところが最近、勉強嫌い、学校はもっと大嫌いの長女が、勉強したいことがあると言い出しました。
漫画家はあきらめたのか、イラストやデザインの勉強をしたり、そういう関連の仕事で実地に勉強したら、という周囲のうるさい声にうんざりしたのか、アートセラピーを勉強して、子どもを相手にした仕事をしたい、というのです。
一見強そうで実は精神的に非常に脆いので、本人が一番セラピーを求めているのかもしれませんが。長男が保育士や学校の先生になりたいと言ってたときは、子ども相手によく仕事できるもんだ、自分は絶対無理、と言ってたのに。

そろばん教室とは言え、子ども達の愚痴を聞いたり、鬱憤晴らしの場でもある教室を見て、面白いと思ってしまったのでしょうか。
もっとも、こちらはセラピーどころか子どもと同レベルで、言ってることに突っ込みを入れる、という漫才のノリで相手しているだけですけど。
答え合わせとか集中している時は、ろくに返事もしないので、子ども達からは生徒を差別してるんじゃないか、と非難されることもありますし、そんな反面教師を見てるから、かえって子ども相手の仕事を目指したがるんでしょうか。

何にせよ、いくつになっても、目指すものがあるということは良いことです。
自分で目指したからには、最後まで達成してほしいものです。

残り二人の「呉下の阿蒙」たちは、時々仲良く?ゲームをしています。
『三国無双』で、瀕死の状態で呂蒙に向かっていこうとするので、
「何やってるの?そんな状態で呂蒙に勝つのは無理だよ。呂蒙って強いんだよ」
と言うと、
「そんな無駄知識はいらねえ!」
と言われてしまいました。
三国志マニアが命名した長男は、三国志トリビアへの拒絶反応が強いのです。
知力を使わず、力ずくで強引に責めまくってゲームクリアするなんて、軍師の名が泣くよ・・・