七五三

妹の長男と長女が、五歳と三歳の七五三のお祝いをするというので、日枝神社まで行って来ました。
甥と姪も、着物を着てかわいくなってましたが、神社には、着物やドレスで着飾った親子でいっぱいでした。

でも七五三は本来、親子で着飾って、それを親族に披露して、みんなで飲んで食べて、という結婚披露宴のようなものではありません。
昔は、栄養も環境も貧しくて、乳幼児期の死亡率が高く、三歳、五歳、七歳の節目まで育てるのが大変でした。だから、そこまで無事に育ったことを喜んで、見守ってくれた氏神様に感謝するために、正装してお参りするという行事です。
それと同時に、それぞれの年まで育てば、ある程度の能力が身に付き、子どもを少しずつ一人前として認めていく、という節目でもあると思います。

三歳になれば、かなり自我が芽生え、自分の身の回りのことができるようになってきます。服を着たり脱いだり、靴を履いたり、ご飯を食べたり、自分の物を片づけたり、ということができるはずです。印象的な出来事があれば、大人になっても覚えている記憶力もあります。

五歳になれば、自分の世界だけでなく、集団の中でも過ごせるようになります。三歳頃は、お友達と遊んでも、一緒に何かするということは難しく、それぞれが別々のことをして遊んでいたのが、五歳頃になれば、一緒に一つの遊びができるようになります。他人との協調性や、周囲への配慮が芽生えてくるのです。

七歳になれば、昔の貧しい時代なら、大人と一緒に仕事をさせられた年代です。農家や商売をしている家では、普通に手伝いができる年でした。つまり、子どもとはいえ、自分の責任において物事が運べる判断力がついているはずです。

ところが今は、親がそのことを知らず、子どもの能力を尊重していないため、いつまでも赤ちゃん扱いして、子どもの成長を邪魔していることが多いようです。

五歳の甥は、着替えなどで疲れたせいもあるでしょうが、お祓いの直前にぐずって逃亡し、とうとうお祓いの場に現れませんでした。父親は、説得することもせず、子どもの意思を尊重したとかで、子どもの言いなりになっていました。
三歳の長女がいたとはいえ、主役の甥がいないお祓いの神殿に、母親と、父方の祖父母、母方の祖母と伯母、従姉、伯父夫婦が座っている、というナンセンスさ!それに対して、何の疑問も持たない親の感覚!(十代、二十代の若い親では決してありません)

さらに、その後のお祝いの席でも、子ども中心に世の中を動かしてしまう親の姿に唖然としました。通された座敷に、低めの床の間があり、そこに上がっていたずらしようとする子ども達を止めることもしません。それどころか、お店の人に、床の間の花瓶や掛け軸を片づけさせてしまいました。子どもが壊したり、汚したりしたら困るから、という配慮のようです。それでもう大丈夫と、平気で自由に子ども達を遊ばせ、床の間に上に、おひな様のように子ども達をかかげてたりします。
そんな自分の子どもの管理もできないようなら、子どもなんか連れて来るな!とお店の人達は思ったでしょうね。
きちんとした場所で、子ども連れで食事をしたければ、行儀良く食事をする躾をすべきです。それができないなら、少しくらい騒いでも支障のないファミリーレストランで我慢すべきです。そこだって、周りの席への配慮は必要ですけど。

危険な物、壊しそうな物を、親が次々と排除して、子どもがやりたい放題のことを本人の言いなりになってやらせることは、子どもを尊重していることにはなりません。親が、子どもに嫌われたくないだけです。子どもの能力と成長をまったく無視して、子どもの自己管理能力や危機回避能力を奪っています。他人との協調性も育たないし、何かあったら、そこにあった物が悪い、そこに置いた人が悪い、と何でも他人に責任転嫁する人間に育ってしまいます。
実際、親が叱らないので(祖父母も叱らないし)他の人間が叱るわけですが、大人をなめてバカにしきってる子ども達が、素直に聞くわけがありません。自分の子なら、思いっきり手が出てしまうところです。

あとから、一緒にいたうちの次女に言われてしまいました。
「姉であるお母さんが、叔母ちゃん達にちゃんと注意しなきゃだめじゃない」

あちらのおじいちゃんやおばあちゃんがいる前で?よその息子を叱れと?ただでさえ、あちらの家からは何故か一目置かれてるようで、丁寧に接してもらっているのに?これ以上ビビらせるの?こんな躾のなっていない娘の親なのに?
おじいちゃんがいれば、きっと叱ってくれただろうなあ。
でも今のままじゃ、あまりに甥と姪の将来が不安です。
憎まれ役を買って出て、一度ビシッと妹夫婦の教育方針に意見してやるべきでしょうね。