無知の知

生徒の中には、とても優秀で、学校の勉強はさぞ退屈だろうなと思える子がいます。
実際、算数の少人数クラスで一番上のクラスにいても、簡単過ぎてつまんないそうです。
「あんなのわかんない奴はみんな馬鹿だ」と言い出す子もいます。
その発言には問題ありますが、授業のあり方にも問題があると思えます。
簡単にできる問題ばかりでなく、学年に関係なく、できる子にはどんどん難しい問題を与えれば良いと思うのです。できることばかりやらせていると、子どもは何やっても簡単にできると勘違いする場合もあります。
能力格差を恐れて、伸ばせる能力を押さえているとしたら、ナンセンスです。子どもはいつでも同じように伸びるとは限りません。低学年で伸びてた子が、高学年でもずっと伸びるとは限らないのです。それなら、伸びる時期を見逃さず、伸ばせるだけ伸ばすのが、それぞれの子どもの能力を活かす上で平等ではないでしょうか。

高校の時、倫理社会でソクラテスの「無知の知」というのを習いました。倫理社会なんて全然真面目に勉強してなかったのですが、これだけは印象に残っています。
ソクラテスは、自分が一番優れていると言われて、本当にそうだろうか、と確かめるために、たくさんの優秀な人達に会います。結果、優秀と思えた人は、自分が知ってることばかり話して、知らないことがあることを知りません。ソクラテスは、自分にはたくさん知らないことがあることを知っていることで、神から一番優れていると評価されたのだろうと気づくのです。

本当のお金持ちは、お金があることをひけらかしたり、お金がないことを馬鹿にしません。
本当に偉い人は、謙虚で、絶対威張ったりしません。
本当に頭の良い人は、知ったかぶりをしたり、知識をひけらかしたり、人を馬鹿にしません。

優秀な子どもには、「無知の知」を学んで、本当に優秀な人になってほしいと思います。
もっともうちの子の場合は、知らないことだらけ、できないことだらけなので、自分を卑下せず、自分のできることを伸ばして、できるだけ活かして、何とか自分なりに生きていってくれればいいんですけど。

ろくに哲学書も読んだことないくせに、ソクラテスなんて語ってしまったり、疲れて家に帰ったとき部屋が散らかし放題になってると、子ども達に「何度言ったらわかるの!馬鹿じゃないの?脳みそないんじゃない?」などと罵倒しまくってしまう私自身が、一番「無知の知」を学ぶ必要あるのですけどね。