子どもが遊ぶということ

私は、子どもらしく無邪気に遊ぶということが苦手でした。妙に自意識過剰の、子どものくせに無邪気に遊ぶことが恥ずかしいと思ってるような、可愛い気のない子どもでした。
ですから、子どもと遊んであげる、ということも苦手です。幼稚園や保育園の先生には絶対なれません。

自分の三人の子どもが、本当に子どもらしく、無邪気に遊べる子どもだったことは、すごく嬉しいことでした。
好きなことを見つけ、好きなことに夢中になり、自分の世界に浸ることができるのは、とても幸せです。
大人は、それを邪魔しちゃいけないと思うのです。

今、子どもにどう対応して良いかわからずに、習い事や早期教育で子どもの時間を潰している人も多いと思います。
特に男の子などが、車や電車のオモチャでずっと同じように遊んでいるのを見ると、この子は大丈夫だろうか、こんな無意味なことに何時間も夢中になって、どこかおかしいのでは、と不安になる人もいます。
でも、もしかしたら子どもの頭の中では、大人には想像できないいろんな世界が広がっているかもしれません。

私は、幼稚園で国語や算数の勉強をして、テストで100点取ってと、能力的には人生の最盛期だったのかも、という幼児期を過ごしました。
小学校へ上がった時、授業は簡単でしたが、作文や自由画を書かされたとき、何を書いて良いかわからず、自分の想像力のなさに愕然としました。
字は書けても、書きたいことが何も思い浮かばないのです。
感情表現も苦手で、親から殴られるほど怒られても、人前では(例え家族でも)泣きもしませんでした。
ですから、書いた物から自分を知られるのが嫌だ、という意識も働いたのかもしれません。
でも子どもながらに、いくらテストができても字を知っていても、これでは意味ないのでは、人間的にもこのままではマズイのでは、と思ってました。

なんでもっと無邪気に遊べる子どもじゃなかったんだろう、遊ぶことは子どもにとって大事なんじゃないか、と思うようになりました。
小学校では、お友達とたくさん遊びました。
それでも、どこかに醒めた自分がいて、遊びに夢中になれない時がありました。
幼児期に形成されるべき何かが足りないのでは、と思ってました。(そんなこと考える時点で、子どもらしさがないって!)

ある時から、優等生をやめて、大人ぶるのをやめて、今からでも子どもになってみればいいんじゃないか、と思うようになりました。
成績のための勉強なんてナンセンスだし、自分が知りたいことは調べればいいし、好きな勉強は好きなようにやればいいし、好きなことを見つけて、のめり込んで、と自分に素直に生きることにしました。
もともとマイペースで自分勝手とは言われてましたが、劣等生になってしまえば、なんだか気が楽で、どんどん子どもみたいになって、大人になってからのが、幼児期よりずっと子どもっぽいと思います。

そんな親なので、子どもと遊んであげてるわけじゃなく、嫌な家事や雑用から逃げて、自分が遊んでいるだけなのです。
子ども達から「お母さんゲームやって」とか言われて「えー、そんなことしてたら夕飯が遅くなるよ」とか言いながら夢中になってしまい、子ども達から「いい加減にしたら」と怒られたりしてました。

今、遊びの下手な子どもが増えているとも言われますが、当然だろうなあ、と思います。遊ぶべき時に遊べない子どもが増えているのですから。
子どもとどう遊んでいいかわからなくても、子どもの遊ぶ時間を奪うのはやめてほしいと思います。
親も自分の好きなことをして、子どもにも好きなことを見つけさせて、お互いに遊べばいいんです。

子どもは大人の自由になると思っている人もいますが、どんな小さな子でも、親とは別の人格があり、何かしら考えている一人の人間です。
親を喜ばせたいから、親の望むこともしてくれますが、必ずしも子どもがやりたい、好きなことではないかもしれません。
一歳位になって、歩いたり話し始めた子どもは、もう一人前の人間です。
いけないことは絶対いけないと注意したり、好きなことを見つけて思い切りやらせたり、危険から守って、たくさん楽しい時間を過ごさせてあげてください。
子どもは何もわかってない何も考えてないと思ったら、大間違いですから。