親と子どもの時間・2010年

上原ひろみライブ

『スパイラル』 というアルバムを聴いて以来、ずっとライブに行ってみたかった上原ひろみをオペラシティで生で聴けました。

オペラシティはとてもキレイで音も良くてクラシックなら良いのですが、ほとんどが即興演奏のジャズピアノはどうなんだろう、と疑問でした。やっと手に入った三階席から見下ろすと、ピアノがポツンとあって、客席から遠くて、盛り上がれるのかな。どうせならブルーノートのようなライブハウスでもっと間近で見られたら良かったのに、などと思ってました。

ところが始まってみると、広い会場の聴衆を引き込み、オペラシティのコンサートホールが大きなライブハウスになってました。
ジャズの即興演奏というと、不協和音が多かったり、聴衆そっちのけで自分の世界に酔いしれてるような難解な音になる場合も多いのですが、次から次へと心地良い音を紡ぎ出していきます。
例えば、パッヘルベルのカノンをテーマにして、どれだけ音を拡げていくんだろうというくらい世界が広がっていきます。『プレイス・トゥ・ビー』というアルバムにも入っていましたが、比較にならないくらい生のがすごいです。
録音だといろんな制限があるせいか、生だと、その時の気分の乗り方で次第でいくらでも音を発展させていけるからか、ワクワク楽しくさせてくれる演奏でした。
どの曲も、これってこんなに良かったっけ、というくらいCDで聴いてたより何倍も楽しい演奏でした。

弾き終わって、
「ピアノって楽しいですね~」
って嬉しそうに言ってるのも良かったです。
『のだめカンタービレ』で、のだめが初リサイタルで、
「楽しんで弾くので、頑張って聴いてください」
と挨拶しますが、まさにそれです。
ピアノが本当に好きで好きでたまらないから、次から次へと素敵な音を生み出せて、聴いてる人を楽しませることができるのでしょうね。
ピアノ一つで、映画の場面や、いつかどこかで見たような風景や、いろんなシーンを思い起こさせ、別世界へ連れて行ってくれます。

毎日ものすごく練習を積んで、作曲もして、世界中を飛び回って年に100日以上ライブをしているのに、休暇が取れて南の島に行けたら、楽しみでピアノを弾くそうです。
大好きなもので才能を開花させられて、なんて幸せな人生でしょう。

それでも、いろんな国へ行って、いろんな条件で演奏をするとなると苦労も多くて、もうダメかも、とくじけそうになることも多々あるそうです。
その時に思い出すのは、
「あきらめたら、そこで試合終了」
それで頑張って、何とか切り抜けてきてるそうです。
それって、あの有名なバスケ漫画の監督の名言では・・・

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ニーチェの言葉

親として子どもに望むことは、自分の人生を自分の力で楽しんで欲しいということです。
ニーチェの言葉にこんな言葉を見つけて、まさにこれ、と思いました。

「何事も明日からの毎日に活用し、自分を常に切り開いていく姿勢を持つことが、この人生を最高に旅することになるのだ」

小学生が「休みの日はつまんない。学校があった方が友達もいるからまだまし」などと言ったりするので、びっくりします。友達と遊べないからというのはわかりますが、自分の時間で自分の好きなことをすれば良いのに、それが見つからないで退屈している子がたくさんいるのです。
教室では、九九を覚えてくること以外ではほとんど宿題を出しません。
それでも熱心な子は、家で算数をやってきた、と毎回提出する子が何人もいます。そろばん以外は家で好きなだけやってきても良い、ということにしてありますが、小さい子が家にいる時勉強ばかりやってるのかな、と心配になります。

親として、学校の勉強ができないと心配ですし、できれば良い成績を取って、ある程度の学歴を身に付けてくれたら、今の不安定な世の中でも多少は将来の不安が減ることも事実です。
何か一つでも得意なことを身に付けて、自信を持って生きてほしいとも思います。
ですから、習い事や塾に通わせることで、子どものために何かしてあげてると親は少し安心できます。

でも、それより重要なことは、子どもに好きなことを見つけさせること、見つける力をつけることです。好きなことがあるということは、たくさん感動できることがあるということです。感動のない毎日で、楽しい人生は送れませんから。

「うちの子本を読まないんだけど」という声も良く聞きます。
まず、漫画でも雑誌でも何でも良いので、好きなもので文字に触れさせることです。
本を大量に読む人は、ほとんどが漫画も雑誌も読みます。逆に、本をほとんど読まない人は、漫画も雑誌も読まない人が多い気がします。
親が本を持っていて読書の習慣がある人は子どもも読みそうなものですが、必ずしもそううまくはいかないようです。
でも家に本がある環境も大切だと思います。気が向いたとき、気になった本があると、手に取って読む可能性がありますから。

漫画、ドラマ、映画の影響で、原作を読みたくなることもあります。
この前長女と話していて、『ティファニーで朝食を』の原作と映画のラストの違いで、原作のが主人公らしくていいけど、オードリー・ヘップバーンの映画じゃハッピーエンドじゃなくちゃね、と意見が一致しました。(内心、いつの間に原作読んでたんだ?映画もいつ見せたっけ?と思いました。)
本は好きでも、ライトノベルやSFやホラーなどで、文学史の教科書に出てくるような本は拒絶していた長女が、最近は太宰治、夢野久作、トルーマン・カポーティの話をするようになってきました。

映画でもアニメでも、一緒に見て、一緒に話をして、親子で感動を共有することが一番ではないかと思います。
今の主人公はこんな映画にも出てて良かったよ、とか原作はここが違うけど、それはそれでいいんだよ、とか話しているうちに話はどんどん飛んで、いろんな映画や漫画や本の話で盛り上がれます。
子どもは子どもなりの情報を持ってますから、親も新しい興味を引き出してもらえます。
それがいつかずっと後になって、本屋で目にして手に取って読むきっかけを作るかもしれません。

ニーチェは、読むべき本として次のような本をあげています。
「読む前と読んだあとでは世界がまったくちがって見えるような本。
わたしたちをこの世の彼方へと連れさってくれる本。
読んだことでわたしたちの心が洗われたことに気づかせるような本。
新しい知識と勇気を与えてくれる本。
愛や美について新しい認識、新しい眼を与えてくれる本」

『超訳ニーチェの言葉』は、まったく今風の言葉で、19世紀にこんなこと言うかなという言い回しで、一ページに一つの短文がテーマごとにまとめられています。
その中のいくつかの言葉をテーマにして、例えば経済とか片付けとか学習とかの知識を付け加えれば、何冊もの本が書けそうな内容です。
本をあまり読まない人にも簡単に読めるし、自己啓発本とかHOW TO本の百冊分以上の価値があると思います。

やりたいことがあり過ぎて時間が足りない我が家のための言葉もありました。
「人生はそれほど長いものではない。夕方に死が訪れても何の不思議もない。だから、わたしたちが何かをなすチャンスは、いつも今この瞬間にしかないのだ。
そして、その限られた時間の中で何かをなす以上、何かから離れたり、何かをきっぱりと捨てなくてはならない。・・・・・」

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そろばんで学ぶ「学び」の方法

高学年でそろばんを始める生徒は、算数が苦手で何とか克服したい、という子が多いようです。そういう子の多くは、最初はいかにも自信なさげでオドオドしています。

教室では、そろばんだけでなく算数の計算もやりますが、確実にできるレベルから始めます。九九がある程度のスピードで正確にできなければ九九から、割り算の答えを出すのに時間がかかれば割り算の練習から、高学年でも、低学年レベルからやり直す場合もあります。

昨年小五の二学期に入塾し、小三レベルから算数をやり直した生徒が、週二回一年間通って、毎回2ページずつの宿題をこなした結果、小六レベルを終え中一の数学に入りました。何回も何回もやり直しを繰り返して練習を重ね、計算のコツをつかんでいくうちに、オドオドしていた子が自信に満ちてくる様子を見ると、本当に嬉しくなります。

そろばんでも計算でも、確実に上達するのは、元々優秀な子ではありません。
教えたことを愚直なほど忠実に守って練習できること、週二回以上コンスタンスに何年も通い続けること、この二つの要素が大きいと思います。
検定試験で三級以上を取った生徒は、ほとんどがそうです。

逆に元々はとても優秀でも、教えた通りに繰り返すことができず自己流になっていたり、結果オーライで答えだけ合わせる子や、週二回以上何年も継続できない子は、最終的に上級まで進むのは難しくなります。

そろばんは、スポーツと同様、身体に覚えこませる必要があります。
最初は正しい指使いを考えながら5になる数と10になる数を考えて練習しますが、そのうち何も考えずに数字を見たら指が勝手に動くまで訓練を積む必要があります。
スポーツと同様、心身の状態にも大きく左右されるので、練習ではずっと合格してたのに、本番では調子が悪くて合格できない、ということもザラです。

そろばんで上級まで進めるかどうかは別にしても、そろばんを真面目に続けることで「学び」の姿勢を身に付けることはできます。
基本の動作を真似て徹底的に練習を重ねること、間違えても何度もやり直すこと、できるようになるまで頑張ること、調子の良し悪しで良い時と悪い時を体験できること、そのことで細かいことに一喜一憂せずに継続することの重要性を知ること、自分なりの記憶の方法を身に付けること、集中できる方法を見つけることなど、たくさんあります。

これは、単に学校の勉強に必要なだけでなく、仕事や資格獲得や生き方にも生かせるはずです。
将来何をして生きていくにしても、常に何かを学んでいく必要があります。
今は、高齢者になってもパソコンや携帯を覚えて使いこなしている時代です。
そろばんを続けることで、自分なりの学び方を身に付け、自信を持っていろいろなことを学んで興味のあることを身に付け、人生を大いに楽しんでいってほしいと思います。

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40日間のハトの子育て

6月初めに会社のスタッフが、鳩のヒナを事務所に連れてきました。
巣から落ちてたのを保護したけど、なかなか餌を食べないということでした。
それなら、と昔離乳食で使ってたような長い柄で細めのスプーンを捜し、小鳥の餌をレンジでちょっと茹でて食べさせると面白いように食べます。
ピィピィ鳴きながら「もっとちょうだい」とくちばしで指をつつき、催促してきます。

鳩のヒナは鶏のヒヨコと違って、とても可愛いとは言い難い風貌です。
本来誰からも守ってもらえるように動物の赤ちゃんは可愛いものですが、まるで不思議の国のアリスにも出てくる絶滅鳥ドードーのようです。

それでも、顔を見るとピィピィ鳴いて甘えてくると可愛いものです。
それからは、久しぶりに子育て時代に戻ったようでした。

深夜遅くまで仕事をしていても、朝はちゃんと起きて朝ごはんをあげて、ベランダに新聞紙を敷いて日光浴させて、お昼を食べさせて、遊んでやって、夕飯を食べさせて、寝床を整えて寝させるという、自分の子どもよりよっぽどきちんと世話してる感じです。

でも、なかなか歩くようにならなくて変だなと思ってたら、ペローシス(腱はずれ)という病気でした。もっと本当に小さなうちなら矯正もできたかもしれませんが、少し育ち過ぎてしまって治すのは無理のようでした。

それでも、ご飯をいっぱい食べて大きくなって、黄色い羽も抜けてきてだんだん鳩に近づいてきました。
羽も大きくなってきて、バタバタします。
脚は関節がはずれているので開脚状態ですが、羽と足をバタバタさせながら這って移動できるようになりました。

「ドードー、すごいね~。頑張ってるね~」と声をかけると、さらに張り切ってバタバタさせます。
自分の活かせる能力を最大限使って、いつか飛べるように、と頑張ってるようでした。
そのうち呼ぶと一生懸命近寄ってきて、手を出したところまで辿りつけるようになりました。
抱き上げて、頭をなでながら「おりこうだね~、かわいいね~」と言うと、嬉しそうに目を細めてくちばしをすりつけてきます。

音楽をかけていると、あるフレーズにくるとバタバタさせてます。
「ドードーはグレン・グールドのピアノが好きなんだよ。月光の第三楽章にくるとノリノリになるんだから」
周りは気のせいに決まってるじゃない、何親バカになってるんだ、と言いますが、本当ですって。

ほぼ一日中一緒にいて、外出してものんびり買い物なんかしないでできるだけ早く帰ってきて、まるで幼児を育ててる感覚で楽しみました。
ちょっとうんざりする制作の仕事をしてたので、10分ごとに顔を見て触ってと、半分逃避にも走ってました。
毎日「かわいいね」と言ってるので、本当にだんだんかわいくなってきました。

脚と羽を横に広げた平べったい恰好で、およそ鳩らしくない痛々しい様子ですが、本人はいつか飛べると信じて毎日バタバタ飛ぶ練習をしてるし、今の状態以外知らないのですから自分が不幸だとも思わないでしょう。
朝昼晩と場所を移動するたびに新しい水をもらい、フンがお尻につきやすいので週に何度もお風呂に入り、毎日寝床は新しいペットシートで、自宅のハムちゃんや家族よりも清潔で恵まれてます。

でも、こんな不自然な姿勢で過ごして、内臓にも負担がかかってるだろうから、長生きはできないだろうな、と思ってました。長生きな鳩は30年くらい生きるそうですが、ドードーは何年生きられるだろう、と思ってました。

教室が夏休みに入ったばかりの暑い日、声は出しませんがハフハフと苦しそうな口の開き方で息をし、あまり動かないでうつらうつらしてました。前日までは目を離すとバタバタ移動してたのに、何度見ても同じ場所にいます。
様子が変だから動物病院で見てもらおうということになり、連れて行きました。
「注射しますね」と言われて刺された途端、一瞬苦しんであっという間に死んでしまいました。
こんなことなら、家で様子を見て、ダメなら抱っこして静かに死なせてあげれば良かったと思いました。

まったく何の覚悟もなかったせいか、親を亡くしたよりショックが大きいのが不思議でした。
たった40日間生活の中心にいただけですが、一日中一緒にいて遊んで楽しんで、本当に癒されました。
毎日毎日飛ぶ練習に余念がなかった姿に、みんなドードーを見習おうよ、と自分も含めて言ってました。

ダラダラと進まない仕事をちゃんとしろということなのかと、その日は寝ないで仕事を仕上げました。
もう、ドードーがいるからと出張を代わってもらったり、旅行の時どうしようという心配も不要になりました。
まだまだ生きると思ってたので、ドードーグッズも買い置きしてたのに無駄になりました。
首のあたりに鳩らしい緑に光った羽が生えてきていて、もうすぐ大人の鳩らしくなるんだろうな、と楽しみでした。最近はジャンプのような動きもしてたので、大人になったらどんなことができるようになるかと期待してました。

子育て中は毎日毎日が忙しくて大変で、いつまでこんな生活が続くんだって気にもなりますが、毎日子どもは何かしらやらかしてくれたり、しゃべったり笑ったり、楽しもうと思えばいくらでも楽しめるもんだな、と今さらながら思いました。
こんなこともまだできないの、とマイナスの面を見ると腹立たしくなりますが、面白いことを探せばいくらでも笑って過ごせます。
本当に小さいうちは、毎日何度でも、「かわいいね」「おりこうだね」「こんなことができてすごいね」と褒めてあげると、喜んで張り切ってくれます。

まだまだ子育て中の方は、せっかく楽しい時期の真っ最中なんだから、もっともっと楽しんで幸せをかみしめてほしいな、と思います。

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オーケストラ!

「オーケストラ!」という映画を見ました。
旧ソ連時代のユダヤ人排斥で解雇された楽団員が、劇場の清掃員となっていた指揮者を中心に30年ぶりに集められ、正式な楽団に成り代わってパリの劇場で演奏するという、喜劇、悲劇、社会問題を含んだ音楽映画です。

様々な職業に就く楽団員達が奏でる民族音楽やいろいろな演奏とクラシックの音の切り替わりも楽しいのですが、中心となるのがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲です。
30年ぶりでろくにリハーサルもしないで本番を迎え、優秀だったはずの楽団員の出だしはボロボロです。
それが、指揮者が指名し、固執し、過去の謎を秘めた天才ヴァイオリニストがすばらしい音を奏でると、それに合わせて楽団員の演奏も変わっていき、曲の盛り上がりに合わせて過去の様々ないきさつも明かされていきます。

昔、実家が本屋で、子どもの頃世界名曲全集のレコードを親からもらいました。
その中で一番好きだったのがチャイコフスキーのピアノ協奏曲とヴァイオリン協奏曲の入った一枚でした。
勉強するから、と店や家の手伝いをサボってはレコードを聞いてましたが、クラシックの中では一番聞いてたのがチャイコフスキーでした。

考えてみれば、あの時代のあまり生活レベルの高くない家庭にあって、本だけでなく、クラシックや映画音楽のレコード、美術全集など、様々な芸術に触れる機会を与えられていたのは、なんて贅沢だったんだろうと思います。
長女だからと、店の手伝いも家の手伝いもやらされたうえに怒られてばかりで、早く大人になって自由になることだけを願ってた子ども時代でした。
それでも、勉強してるフリさえしてれば音楽は聴き放題でした。父に言えば、本来は高い売り物のレコード全集をいくらでももらえました。

両親はせっかく本屋をやっていながら、まったく商売熱心ではなく、惰性で店をやっていたとしか思えません。発注から店内の掃除や本の陳列など、あらゆることに無関心で、手伝っていて歯がゆくて仕方ありませんでした。
何故、商売やるならもっと工夫して熱心に取り組むとか、商売が嫌なら好きな仕事を見つけないのだろう、とずっと疑問に思ってきました。

今思うと、本屋は子どもの教育のためだったのかもしれません。
当時の収入レベルで本屋でなければ、読める本にも限りがあり、百科事典や音楽全集を買ってもらえるとはとても思えません。
自分たちは商売には向いてないけど、本屋だったら子ども達に教育上良い環境を作ってやれる、と思ったのかもしれません。

百科事典をたくさん売った報奨品のステレオを得意気に見せ、自分の好きな西部劇の映画音楽を聞かせてた父の姿を思い出しました。音楽の成績に多少のコンプレックスを持っていた親のおかげで、クラシックから映画音楽、さらにジャズやロックまでいろいろな音楽に興味を持て、いろいろな映画を見るようになり、好きな世界が広がって楽しい人生にしてもらったな、と今更ながら思いました。

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