親と子どもの時間・2009年

別れの年

今年は、元旦に西国分寺の実家で飼ってた父の形見の老犬の葬式(ペット用火葬)をし、夏に母の葬儀、先日母の妹の夫にあたる叔父の葬儀と別れが続きました。

11月末に、7年間預けていた父の遺骨と共に、母の遺骨を羽田沖に散骨しました。
釣り好きの父がかつて毎月のように行っていた場所です。
叔母にとっては、一番慕っていた姉を亡くし、散骨で見送った直後、突然夫が倒れ、意識が戻らないまま一週間の別れの時間を過ごした後看取るという、つらい日々が続きました。

うちの場合、父の時は母と兄弟三人で、母の時は弟が結婚したので弟の嫁と兄弟三人で、手分けして葬儀準備や様々な手続きをしたのですが、大変でした。
八王子に住む叔母のところは三十代の未婚の従妹が一人だけなので、万が一の場合さぞや大変だろうと思いました。
誰よりもダメージの大きかった叔母が心配なこともあり、もしもの時はすぐに駆けつけるから、と母の葬儀の時に従妹と携帯のアドレスを交換しあったばかりでした。

叔父が倒れた時、すぐに弟と駆けつけましたが、5時間の手術中、叔父方の親戚とは連絡が取れず(真夜中だから無理もないのですが)、四人で取りとめもないことをしゃべって過ごしました。
母の時は、子ども三人と弟の嫁と妹の婿と孫達とで病室いっぱいで、看護士さんがびっくりするほどでした。
葬儀の時には、兵庫の父方の従兄弟や茨城の母方の従兄弟まで何人も来てくれて、大往生ということもあり、賑やかな葬儀でした。

叔父が息を引き取った時も夜中で、弟が出張中だったので私一人で駆けつけ、叔母と従妹と三人で葬儀の段取りを決めてきました。
父のとき、誰も直接葬儀準備の経験がないため、判断基準もなく、葬儀社の言いなりになることが多く、困った経験があります。
母にしても叔母にしても、父親は子どもの頃なくし、母親は一緒に住んでいた叔父が取り仕切ったので、何も知りません。
特に叔母は、旦那さんが亭主関白で全て一人で管理していたので頼りきりで、叔父の宗派さえ知らず、自分の判断基準がほとんどありません。
二回の葬儀経験というのは、葬儀社の言いなりにならず、可能な限り予算を押さえつつ、遺族の希望に近い葬儀を行うのに多少役立ったようです。

大抵の場合、死は突然やってきます。
長い闘病生活の末でも、準備万端整えて迎えるということは難しいでしょう。
昔ながらの親族が集まって住んでいる地域では、誰かしら経験者がいて助言してくれるでしょう。
でも、子どもの数が減り、親戚付き合いや近所付き合いも減っている都会では、身内の死が初めての死の経験ということが多いでしょう。
その場合どうしたらよいか、ある程度の準備は必要だと実感しました。

今回三度目の経験で、葬儀場に納棺の儀式ができる一般家庭のような座敷があるのを知りました。
両親の時は、実家に一つ広い部屋があるので、病院からもすぐ運んでもらい、納棺の儀式もできました。
自分の時は、自分一人寝たら誰も入れないような狭い部屋で、自宅に運んでもらうわけにいかないからどうしよう、とずっと思ってました。
病院で亡くなると、できるだけ早く連れて帰ってほしいと言われて、どこへどうやって?ととまどったりしますが、自宅じゃない場所を手配してもらおうと思いました。
あとは、無宗教なのでお寺の都合とか関係なく、火葬場の都合だけで可及的速やかに見送ってくれるように周囲に頼んでおきました。

うちにも子どもが三人いるので、親が倒れた時くらいは協力して何とかしてほしいものです。
親自身も、ある程度の親戚付き合いや近所付き合いをし、万が一のときに協力してもらえるような準備をしておきたいと思います。

亡くなった叔父は、亭主関白で頑固なところもありましたが、叔母を大変愛してるのが見て取れました。
母の葬儀のとき、
「この叔父ちゃんは叔母ちゃんにべた惚れなんだよ~」
と娘に言って叔父をからかうと、
「言うなよ~」
と酔っ払った叔父は照れてました。
81歳になってもかわいい人でした。

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お買い物ごっこ

ちょっと前までは、子どもに簡単な買い物を頼んだりすることも多く、小学生くらいになればお金の数え方を知っていることが多かったような気がします。
最近は子どもを一人で外に出さないせいか、お買い物の経験のない子が多く、お釣りや両替の観念がわからないことが多くなってます。
計算自体は問題集などでかなりできる子でも、実生活でお金の計算をしたことがないため、具体的なイメージを持てないことも増えています。

そろばんはお金を知っていると説明がしやすく、1円が10個で10円、10円が10個で100円ということを知っている子は、すんなりそろばんの珠を読めるようになります。
算数の繰り上がり、繰り下がりの計算も、お金の計算ができればすぐに理解できるようになります。

繰り上がり、繰り下がりがわかってないからと、算数の問題集をつきっきりでやらせる保護者もいらっしゃいますが、せっかくの親子の時間を勉強に費やすより、お買い物ごっこでもして遊んで過ごした方が子どもも喜びますし、問題集よりもずっと実生活に役立つ計算が身につきます。
子どもと一緒の時間をどうやって過ごしたら良いかわからずに、小さい頃から勉強をやらせてしまう保護者も多くなってますが、工夫次第でいくらでも遊べるはずです。

実生活でも絶対必要になるお金の数え方は、子どもも興味のあることですから、ぜひ遊びに取り入れてほしいと思います。
お買いものごっこのオモチャや銀行ごっこのお金なども売ってますが、スーパーやデパートの広告を切って商品を作ったり、画用紙に金額を書いてお金を作ったりして、手作りのお店屋さんごっこも安上がりで、親子で楽しめます。
商品は、持っているオモチャや手作りのもの、日用品など、身の回りにいくらでも見つけられます。

遊びながら、全部でいくらになるか足し算したり、お釣りがいくらになるか引き算したり、細かいお金をお札に交換してもらったりなど、具体的なものを使って計算をすることで、理解も早くなり、記憶に残ります。
低学年でも、家でたくさん勉強しなきゃならないから大変、という生徒もいますが、紙上の勉強を大量にやるより、身体を動かして実体験に基づいた勉強をもっと楽しんでほしいと思います。

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音楽の思い出

母の遺品から、歌集が出てきました。
カラオケにはまったく興味がなく、多分ほとんどカラオケの経験はなかったはずなのに、何故新しい歌集?と思ったら、大ファンの秋川雅史さんが懐かしい歌を歌ってたようで、歌詞の気に入った部分を書き写したりしていました。

両親は、音楽にだけは自信がない人達でした。
子ども(私と弟)の幼稚園で何か一つ習い事を選択する時、わざわざオルガンやヴァイオリンを習わせたくらいです。
母は勉強、父は図工と体育なら教えられる、と思ったようです。
(残念ながら子ども三人とも、勉強もそこそこで、図工や体育などまったく苦手でしたが)

そんな両親ですが、実は音楽が好きだったようです。
父は戦時中海軍に所属してたので、当時海軍で流行ったタップダンスやハーモニカなどにはまったそうです。
ハーモニカは、伴奏付きの複雑な吹き方ができました。
小さい頃、父のハーモニカに合わせて、母や弟と歌を歌った記憶があります。
学校では習わない戦前からの学校唱歌など、両親世代の歌もいろいろ教えてもらいました。

実家の本屋では、出版社で出しているクラシックや映画音楽のレコードも売っていて、父からいろんな音楽全集をもらいました。
両親が特別好んでレコードを聞いていた、という記憶はありませんが、子どもに音楽に接する機会を与えたいと思ったのかもしれません。
おかげで、音楽の授業で不自由しないくらいのクラシックの知識と、映画と様々な音楽に触れることができました。

バンドに夢中の長男は、ギターをやっていたのに、ベースを習いに行ったり、ドラムをやったりしてましたが、今年に入って、小四でやめたピアノまで再開しました。
それを聞いた母は、
「あら、いいわね~私も習いたいのよ」
などと言い出したので、びっくりしました。

自分がピアノを習いたかったんだ、とわかったことで、納得できたことが多々ありました。
貧しく質素な生活の中で、普段の洋服や持ち物などかわいいものなど一切買ってもらえなかったのに、父の反対を押し切ってピアノを買ってくれました。
普段は弟を溺愛し、逆らってばかりの私は怒られてばかりいたので、とても不思議でした。
うちの子ども達にも、ピアノは個人の先生に習わせた方が良いと主張し、弟がヴァイオリンを習ってた先生に自分で申し込みに行ったり、親よりも音楽教育に熱心でした。

やりたければ、いくつになっても良いんだから今から習えば?と言ってたのですが、とうとう念願を叶えることはできませんでした。
それでも、ピアノの音楽が聞きたいというのでCDを選んであげたら、「千の風」だけでなくクラシックにもはまって、入院中もいろいろ聴いていました。
ここ数年の本当の晩年になってから、母はいろんな音楽を楽しんでいました。

反抗的な子ども時代には怒られてばかりで、兄弟の誰よりも店の手伝いをしていたのに認めてもらえず、弟と喧嘩しては怒られ、親とも喧嘩ばかりしていた気がします。
早く大人になって自由になりたい、とずっと思い続けて育ったので、昔に戻りたいと思ったことはありません。
それでも、父がハーモニカを吹いたり、母が歌ったり、家族で音楽を楽しんだこともあったんだな、と思い出しました。

「おばあちゃんて、嫁の愚痴ばっかり言ってる癖に、お母さんほどきつくないからマシだって」
と報告してた次女ですが、
「おばあちゃんが唯一お母さんのこと褒めてたことあるよ。ピアノが上手だったって」
と言っていたので驚きました。
「え~、勉強もしないでピアノ弾いてると怒ってた人が?」

小六で、ソナチネまでどうにか終えて、先生の都合でやめてしまったピアノですが、ずっともっと上手になりたいと思ってきました。
子どもの教育費がかからなくなったら、習えたら良いなあ、と思ってきましたが、あと数年です。
最近ずっと睡眠音楽にしている、グレン・グールドの「バッハ・ゴールドベルク変奏曲」が弾けるようになりたいなあ、と思ってます。

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「ノルウェイの森」に思うこと

母の入院前に読み始め、死をはさんで読み終わった本が、図らずも生と死を見つめたストーリーでした。 

村上春樹には興味がなく、かつて実家の本屋で山積みになっていた時には読まなかったのに、映画化で文庫本が山積みになっているのを見て今更のように読んでみました。
春樹ワールドに余りはまらないのは、フィッツジェラルドやコンラッドやトーマス・マンなどの海外小説を一通り読んでないために、本当の世界観を理解できないからかもしれません。 
タイトルだけでなく、ビートルズナンバーを初め、クラシックや懐かしいジャズ、ロック、映画音楽などが次々と出てきて、BGMに溢れた小説でした。 

主人公の大学時代の女友達が本屋の娘だったことが、身につまされました。 
二年前に母親を亡くし、父親も同じ脳腫瘍で入院中で、姉と二人で本屋を手伝いながら看病に通うという過酷な生活が続いている頃、主人公と知り合います。 
父親の死後、本屋を処分して、アパートで姉と二人暮らしを始めるのですが、 最初のうちは姉と二人で、こんな楽な暮らしで良いのか、そのうちどんでん返しが来るのでは、と緊張して生活していた、と主人公に話します。 

まったく他人事とは思えません。 
8年前に実家の本屋を処分してなかったら、多分同じ境遇だったでしょう。 
子育てをしながら、夜の10時過ぎまで本屋を手伝い、弟と会社を運営し(この両作業はほぼ無収入)、珠算教室のみで細々と生活費を稼ぎつつ、入院した親の病院に通って最後を看取る、という可能性が限りなく高かったと思います。 

本屋を処分して借金を返済したことは、その翌年亡くなった父の生きる意欲を減退し、死期を早めたと思いますが、確実に母の最期の8年間を楽で充実したものにしたし、子どもの生活もお気楽なものにしてくれました。
10年以上前の写真を見て子ども達は、
「お母さん今より老けてる!」
と言います。(本人はまだ若くてスッピンでも大丈夫と思ってたのが間違いでした)
親の商売に振り回され始めた30代前半から、自分では気づきませんでしたが、かなり生活に疲れていたようです。

母は、10年来C型肝炎の治療を続けながらも、この8年間は、好きでもない商売からも借金からも開放され、好きなことを楽しみ、おいしい物を食べ歩き、充実した老後を過ごしました。
プリザーブドフラワーの教室に通ったり、「千の風になって」を聴いて秋川雅史の大ファンになり、自分で電話をかけまくってチケットを取ったり、毎月のように歌舞伎に行っていて、退院して二週間後のチケットまで持っていて、回復して見に行く気満々でした。
吐血して出血多量で失神した状態で亡くなったので、本人は死んでしまったことに気づいてないかもしれません。
自分でできる範囲の仕事は片付けて入院し、辞世の句まで残してあり(広告の裏紙に書いてあったのが母らしいと爆笑でした)、遺影などすべて準備万端で、誰もが羨むような最後でした。

自分を振り返ると、やろうと思いつつやりかけた事だらけで、死ぬ前に3ヶ月くらいの余裕をもらって、片付けと部屋の大掃除をしてからでないと、死んでも死にきれません。
葬儀費用さえ残す余裕はないので、お経も戒名も一切なしで、なんとか火葬だけは済ませられる費用くらい残さなければと思いました。

残された側は何かと後悔することが多いものですが、やりたいように好き勝手に生きてきたので、誰も何も後悔しなくて良いよ、と言っておきたいですね。
そして、できるだけ子どもたちや周囲に世話をかけずに最後を迎え、
「あ~楽しかった!」
と言って死にたいものです。
そして、お経の代わりに遺したCDをかけてもらって、爆笑ネタを暴露しあって、みんなで笑い飛ばして見送って欲しいと思います。

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そろばんはスポーツと同じ

6月の検定試験の結果が出ました。

真面目に地道に練習してきた生徒は、確実に合格してました。
練習では3級に合格したばかりで、今回の検定は練習のつもりで受検した生徒も合格してました。
試験前1ヶ月は、少しでもいいから毎日練習してごらん、というアドバイスを実行した結果です。

練習では何年も前に合格しながら、またまた1級に落ちた次女は、
「あんなに練習では受かってたのに、もう無理!」
と泣き言をいってましたが、直前のあの程度の練習では、合格する方が奇跡です。

そろばんはスポーツと同じで、当日の調子で結果がまるで変わってきます。
普通の試験では、100点を取れる実力がつけば、30点以下の結果になることはめったにないでしょう。
ところがそろばんは、練習でずっと合格点以上を取れていても、調子が悪いと10点や20点という結果になることもあります。
微妙に集中力が欠けただけでミスをしたり、体調で指の動きが悪くなったりするからです。

そのためには、できれば毎日練習することで指の動きをキープし、能力の最低基準を向上させる必要があります。
スポーツ選手やバレリーナや音楽家などは、1日でも練習を休むと調子が崩れると言われますが、それと似ています。
週に1回くらいの練習で上級の試験に合格することは、かなり難しいでしょう。

一年中毎日同じように練習を続けることは大変で、それができるだけでかなり優秀である必要があります。天才と呼ばれる人たちは、それができる人だと思います。
普通はそこまでしないでも、ある程度のレベルには上げられます。
通常は週に2~3回の練習で構いません。
ただし試験前1ヶ月前は、毎日30分でよいので毎日練習すると、確実にレベルアップします。

スポーツも苦手、毎日継続することも苦手な私でも、そろばんだけはある程度のレベルまで進めたのは、小学3年生から週5日以上毎日のようにそろばん塾に通ったおかげです。(検定試験や競技会の直前には日曜などにも練習があったので)
天才的な子にはかなわなかったけれど、自分の中では得意なことを自分なりに伸ばしたい、目標に達したいという思いがありました。
もっとも、家にいると怒られてばかりいたので、一番の避難所でもあったからですけど。

日曜でも一番に教室に行くと、そろばんの先生に、
「おまえは本当にそろばんが好きなんだな」
と言われました。
そうなんだ、自分はそろばんが好きなんだ、と自覚しました。

怒ってばかりいた母も、通知表の通信欄に長所として、
「習い事を続けることができる」と書いていて、
親でも自分を認めてる部分があるんだ、と思いました。

天才的に優秀なわけでもないからこそ、凡人に実行できる方法を見つけ、無理をしない範囲で能力を伸ばすにはどうするか、ということで指導ができるわけです。
同じようにやっていても、誰もが同じように伸びるわけではありません。
のんびり屋さんだったり、慎重な子は、ゆっくりじっくり取り組みます。
小さくても、どんどん先に進む子もいます。
能力の伸びる時期や性格によって、実力の付け方は変わってきます。

最終的に上級のレベルに達するかどうかは、特別に優秀かどうかではなく、目標に達成できるまで継続できるかどうか、で決まります。
「もうこれ以上無理!」と言ってあきらめるか、
「今度はちゃんと取り組んで頑張ろう!」と実行するかの違いです。

これは、そろばんに限ったことではなく、あらゆることに共通することだと思いますが。

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